ギートステイトのシステム構造と文体

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ギートステイト』における桜坂文体の話終息したようですが、その補遺。
個人的に、村上春樹桜坂洋にはどこか共通する匂いがある、と感じていたので、『ギート〜』桜坂パートの一人称を地の文で使わない手法は、まさに村上春樹が『アフターダーク』から試みている手法とのご指摘に膝を打ちました。『ギート〜』では『アフター〜』より一層徹底してこの手法を実践している、ってことですね。

あと、群像を扱ったノベルゲーム『街』みたいな表示のされ方だったら、あのくらいの角の取れた文体がちょうどよく楽しめると思うについて。『ギート〜』のテキストをノベルゲーム風に読むブラウザが欲しいって感じでしょうか。
『ギート〜』は、時系列順に描写される群像劇の形式だけではなく、ブログ機能を生かして、「キャラクターごと」「場所ごと」「時刻ごと」に各断片を抽出して、違った姿の「物語」を提示することができる、という文書構造上の特徴があります。「最初から読む」のほか、「海神れいの一日」「あらかわ大橋で起きたこと」「おやつの時刻に起きたこと」等が最初から用意されていて、各断片の閲覧順・提示順の自由度が大きいことが、システム上保証されているんです。

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もちろんノベルゲーム『街』とは提示の構造が違いますが、群像劇の見せ方におけるシステム上の工夫、という共通点が確かにあると思います。紙媒体で考えると、群像劇とはいえませんが、骰子を振って次に読む頁を決めるゲームブックや関連事項の参照頁が沢山書いてある百科辞典の機能に近いものを備えている、という感じ。
これらは、断片を読む順序が一定じゃないことが前提になっています。

  • 文庫ハードカバーは、先頭から最期まで順に読むことが前提。
  • Webテキストは、閲覧の順序・単位がフラットでバラバラであることが前提。
  • ノベルゲームや『ギート〜』は、閲覧の順序に緩やかな制約があるので、その中間。

『ギート〜』における桜坂文体は、こういうシステム上の特徴に意図的に適合させたものなのかも、と感じます。これ、ラノベの発表形式が、文庫からハードカバー等に拡大する中、「ラノベの拡大としてのノベルゲーム」という話題にも関連しそうです。

追記
文体芸に興味のある方には、1つの出来事を99通りに書き分ける文体練習(レーモン・クノー) *1がお薦め。私はこれを読んだとき、豆腐百珍 *2を思い出しました。手の込んだ個性的な豆腐料理が色々提案されてるんですが、やっぱり最終的には、冷奴に湯豆腐で決まり。《良い文章》にもそういうところがあるんじゃないでしょうか。